歌人の頭の中

歌うことについて、感じたり考えてることを頭の中から出して整理しています。ハリポタの憂の篩(ふるい)的な。

【1-4】胸式呼吸と腹式呼吸

胸式呼吸も、腹式呼吸も肺に空気を入れて呼吸をしていることに違いはない。

 

肺は、胸郭(きょうかく、肋骨と胸骨の総称)と横隔膜に囲まれている。

 

横隔膜は肋骨の5番、6番あたりにある。

 

みぞおちのところを触ってみて、そこから上が全て肺ぐらいのつもりで意識して呼吸してみると、自分が思っていたより実際の肺は大きいことに気づく。

 

胸式呼吸は横隔膜から上の胸郭のみが広がり肺に空気が送り込まれる。

 

腹式呼吸は横隔膜が下がり空気が送り込まれる。

 

胸郭は横隔膜に比べ広がる幅が狭いので吸える量が少なくなる。喉や肩に力が入りやすくなる。

 

横隔膜が下に下がると肺も下に伸びて広がる。

仰向けに寝た状態での呼吸は自然に腹式呼吸になる。

胸、肩、首に力が入っていないため、リラックスした状態で呼吸ができるため、喉に力が入りにくく、結果、よく通る大きい声が出せる。

 

お腹、脇腹、腰のあたりも、ぐるっと一周浮き輪のように膨らむイメージで呼吸をするとよく入っていく。

 

 

【1-3-2】歌のフォーム 正しい姿勢とは

歌のフォームを描く確立するために正しい姿勢の感覚をつかむことが必要。

 

1 リラックス

2 両足を開く(肩幅で、フラフラしない楽な場所を探す)

3 背筋をまっすぐに(腰をそらして、出っ尻にならないように)

4 骨盤をまっすぐに(クッとお尻に力を入れるわけではないけれど、恥骨が正面を向くイメージ、クッと上に上がるイメージ)

5 胸を起こし、肺に空気が入りやすい場所を探す(無駄な力が入らないように)

 

まっすぐに正しく立つこと、息を吸うことについて非常に参考になったのが

 

『猫背は治る!』著作者 小池義孝 

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肺の大きさを誤解していることや、正しく立つための方が満載。

 

しっかり読ませていただきました。

 

肺の大きさをしっかり理解して、自分の体のどこからどこまで肺なのか、理解して息をすること。

 

正しい姿勢を掴むために膝立ちで立ってみること。

 

とってもわかりやすく、しっくり感覚を掴むことができました。

 

ヨガのレッスンでも、呼吸を最初教えてくれるのが多いけど、以外にここまできちっと息を吸うということをわかりやくす解説していない。(今まで自分が受けたレッスンではどれも鼻から吸ってー吐いてーという感じで、ウジャイ呼吸すら触れていないレッスンばかりでしたよ。。。)

 

技術と人間性と環境

人間性で内側から湧き出るものを

 

技術で表現し

 

それを、最大限発揮できる環境

 

これが揃うと、おそらく自分が求めている最高の歌が歌えるんじゃないかと、思う。

 

そのために技術も磨くし、表現が豊かになるように人生経験は全て味になるし、

 

歌いやすい環境を整えるのは大切。

歌が上手い≠テクニック

歌が上手いと評価される要素として

 

1ブレス

2音程

3歌詞の響かせ方

4リズム

 

があるけれど、確かにこの4つが優れているとカラオケの採点マシーンは高得点が出る。

 

だけど、これはあくまでもテクニックの技術的なものであり

 

聞いた人が感動したり、好きだと思える歌

 

ではない。

 

歌い手が、表現する技術としてそれら4つの事柄がコントロールできることで、

 

自分の内側から滲み出る表現者としての魅力やパワーが最大限発揮され

 

聞いた人の心が動く歌になるんだと思う。

 

だからこそ、テクニックの習得は必要だけど、それだけになってはいけないってこと。

 

歌い手の目指しているところがはっきりしていれば、高音が出ればいい、英語の歌が歌えればいい、大きな声が出ればいい、ということだけにとらわれず、

 

そんなものがなくても、内側の何かが伝えることはできるんじゃないかと思う。

自分の声は唯一無二、世界にたった1つ

自分の声は

 

骨格のにている親や、兄弟ともしかしたら似ているのかもしれないけれど

 

楽器としては一点物!

長生きする分、どんどんプレミアがついていく、とっても素敵なもの!

 

物の価値や値段は材料費や経費や、需要と供給で成り立っているけれど、

 

自分が生まれてここまで生きてきて、育ててもらった時間や、愛情、自分自身が経験してきたことが全て

 

自分自身や、歌の表現力や魅力になっているわけなので

 

見た目だって自分が食べたものや、鍛えて運動してきた筋肉で支えられて、

 

自分の両親や先祖代々のDNAを受け継いだフォルムで、声帯で

 

そこにこれから先の自分の人生も、自分という楽器の糧になる、際も甘いも全てが糧になるという

 

素晴らしい楽器なので

 

そういう視点で自分をみると、ボーカルだけではなく、全ての表現者は、そういう視点を持ってない人に比べたらとってもお得な人生を送っていると思っています。

 

 

音楽に行き詰まったら

私は見た目を褒められるより、

 

性格を褒められるより、

 

手作りの料理の味を褒められるより、

 

歌を褒められることが一番嬉しいと思う。

 

なぜだろう?

 

一番時間を費やしてきたことだから?

 

一番悔しい思いをしてきたから?

 

一番気持ちが高まったことだから?

 

思い返してみると、辛い思いや思い通り行かないことのが多かったかもしれないが、それはその分向き合ってきた証拠だと思う。

 

そして、自分は気づいていない。

 

決してここまでの道のりが、他の人からしたら到底できないくらいのレベルで、

 

音楽のことを考えたり、練習したり、夢中になって聞き返したり、自分の演奏を聴き返して、イメージとのギャップにショックを受けて、でも頑張って立ち直ってを繰り返してきたか。

 

音楽を自己表現としていない人からしたら、ここまで追求してやっていない。

 

聞き比べることでしか、自分の成長はわからないので

 

その時の再生機器や、その時の感情や、その時の体調や、その時の景色で

 

よく聞こえたり、悪く聞こえたりしてしまうような気がして

 

そして、芸術を追求する人は自分に一番厳しいと思うので(終わりがないし、自分はもっとできると思いたい、思っているので)

 

行き詰まったり、だんだん楽しくなくなってきてしまうんじゃないかなと、思う。

 

なので行き詰まったら、音楽からしっかり離れて、(スランプで上手く演奏できない時は、毎日練習しなくても、演奏が下手になることより、楽しい気持ちを取り戻すことのが重要だと思っている。)自分がどれだけ音楽ができるのか、好きなのか、時間や労力やお金をつぎ込めるのか

 

他のことと比べてみたら

 

自信ややる気が復活してくるかもしれない。

 

最初は音楽が好きで、ただ楽しくて、大好きで演奏していて、理屈ではなく感情で動いていると思うので、

 

あまりにも身近で、あまりにも当たり前すぎなので

 

改めて

 

音楽のことを一歩引いて、自分が音楽をやることが自己表現であることを認識した上で、もう一度音楽と向き合うと

 

スッキリ

 

ビジネスと自己表現を分けて

 

感情の部分と、理性的に演奏する部分と、うまくコントロールできてきて

 

新しい視点が切り開けてきたりする。

 

その上で、有効なのは全くしたことがないことに没頭してみて

 

ゼロが1になり2になっていく過程を音楽に置き換えてみると

 

新しい切り口が見えて、モヤモヤがスッキリしたりする。

 

私の場合はダーツでした。

 

全然ダーツは上達しないけど、上達するために試行錯誤が歌うことの試行錯誤に

 

今まで意識せずにやってきた

音楽の試行錯誤は、ダーツの試行錯誤とは比べ物にならないほど沢山、理論的でなく感情的、感覚的にやってきたことに気づいて

 

自身や、上達の突破口を見つけるヒントになっている。

自己表現としての音楽、商品としての音楽

音楽が好きで、ただ聞くだけではなく自分で演奏したり作曲したりする。

 

自己表現としての音楽。

 

最初は楽しくてどんどん作って演奏していくんだけど、

 

誰かに聴いてもらいたい、良いと言ってもらいたい

 

という欲がでてくる。

 

自分を表現する、芸術としての音楽なら、自己満足で、他人からの評価は関係なく好き勝手やれば良い。

 

だけど誰かに聞いてもらいたい、つまり自分を知ってもらいたい、良いと言ってもらいたい、自分を認めてもらいたい

 

という欲がでてくるあたりから歯車が狂う。

 

自己満足で自分を喜ばせればよかったものが、他人を喜ばせるものに変わり、自己表現の芸術ではなく、他人を喜ばせる商品に変わる。

 

すると、楽しくて仕方なかった自己表現は自己表現でなくなり、ただの仕事になる。

 

もちろん、自分のスキルで人を喜ばせて自分も嬉しいというのはあるけれど

 

音楽をしていて楽しくなくなっている時は、大抵、自分軸で音楽をしていない時である。